Street Blues(私の解釈。ネタバレ注意)
大人のeighterさんはニヤニヤしながら聞いたと思われるStreet Blues
ヤスくんの声と歌詞の甘さに驚かされるところから始まるんですけど、これがまた最初から最後まで甘い。
後半になればなるほど甘ったるさが増して、聴き終わる頃には耳が溶けてなくなっちゃうんじゃないのってくらいの、衝撃作とでも申しましょうか。
これの何がすごいって、歌詞。
フローズンマルガリータ、アダムとイヴ、steal your loveなど、エイトに色気のある曲を提供してくださっている信頼と実績のSHIKATAさん作詞。
だから覚悟はしてたんです。
今回もすごいの来るだろうなって。
で、スバラジで聴いた時にこれは・・・!ってなったんですけど、この曲は全部聞いてこそストーリーが分かるんだなーとフラゲ日の本日、その感想(と言う名の妄想)を記しておきたいと思います。
付き合い始めの恋人なのか、好きな人を口説き落とすまであと一歩なのか・・・(私の希望は後者ですが)
一緒にお酒を飲んで、自分のことを今以上に好きにさせて、夜を一緒に過ごすことになる、というストーリーですが、時間の流れ方がとても素敵だなぁ、と。
私の解釈ですが、最後の「瞳を合わせた」ところから2人の夜は始まるんだと思うのです。
だからそこに行きつくまでの「キャンドル揺れるカウンター」はお店だし「降り出した雨で滲んだ窓越し」は移動の車とか電車の窓だと思うし「もう今日は帰さない」は目的地が彼の主導権のある場所=彼の部屋ということなのでは、と勝手に妄想を膨らませています。
甘いセリフと〜好きにさせてもいいよね?の歌詞を何度も繰り返すのは、そうやって彼女を強気に自分の元へ誘導しながらもどこか不安な男心の現れのように聞こえるし、彼女に時計を外させることまでは簡単に出来たけどそこから先に進めるのにちょっと手間取ってる可愛らしさも垣間見えたり。
その一方でドキッとさせられるのが「本能」の言葉。紳士に見せていても隠しきれない男の本音をチラリと見せるあたりがSHIKATAさんの歌詞の上手いところのような気がします。綺麗な言葉だけではない、甘さには似合わない「本能」なんてリアルな言葉を含ませることでより大人のラブソングに仕上がっていて、聴いている人が【誰かの恋人になって耳元で囁かれているような】気分にさせられてしまうという、聴けば聴くほど罪な曲、と思わずにはいられません。
それと、この歌割り。
ヤスくんで始まってヤスくんで終わるのは優しく包み込まれるようだし、マルちゃんと大倉くんはソロが少なくても情景が浮かぶような甘さをその声で印象づける部分を任されているし、ここぞの歌詞はすばるくんだし、全体的な甘さは亮ちゃんの声がよく似合う。
飲み干しちゃえばいい、を担当するヨコさんとヒナちゃんも強引ではないのに優しい説得力があったりして。
30代の男の色気をこんな素敵な歌詞にしてくださったSHIKATAさんの凄さはもちろんのこと、こんな曲をさらりと歌いこなせるようになってしまったエイトさん達の凄さにため息しか出ないフラゲ日でした。
以上、Street Bluesのリピートが止まらない現場からお伝えしました。
蜘蛛女のキス(2017.6.15) その2
病気の時に優しくされると相手を良い人と思うのはごく自然な感情。
それはヴァレンティンも例外ではなく、確実にモリーナとの信頼関係は深くなっていく。
その証拠に2幕が始まった時からヴァレンティンの表情には柔らかさが見えたし声も明るくなっていった。
しかし所長に呼び出されるたびに表情がこわばるモリーナは、用意された嘘の差し入れをさも母親からのようにヴァレンティンに見せて共に喜び合うが、その笑顔の裏には嘘があるのだと知りながら見ていた私は胸を締め付けられる思いだった。
静かに進行していく作戦。
モリーナがついている嘘。
何も知らないヴァレンティン。
監房の中には2人しかいない。
抑圧するものは何もない。
ハーブティーを淹れ、食糧を分け合い、ひとつの映画を共有して笑い合う2人は幸せそうに見えるのに、たとえ場所が監房の中だとしてもその小さな幸せが続けばいいのに、所長とモリーナのタイムリミットは刻一刻と迫る。
(ごめんなさい、この辺りから時系列ぐちゃぐちゃです。とりあえず原作に沿って書きます)
ヴァレンティンはモリーナが口ずさむボレロを聞いているうちに愛するマルタを思い出してモリーナに自分の代わりに手紙を書いてほしいと頼む。
自分のペンを使え、とモリーナに言ったのにモリーナが自分のペンを使おうとしただけでペンケースを床に叩きつけたヴァレンティンは、やはりここは監房で自分には自由もなく愛する人を守ってやることも出来ない現実に取り乱す。
ベッドに座りマルタへの想いを語り出したヴァレンティンの瞳は虚ろで、マルタと過ごした日々を語り、自分の鼻や指先に残るマルタの匂いや感触を確かめようとする姿は何かに取り憑かれたようだったし、マルタへの想いを語っていたはずが次第に自分の状況を嘆き追い詰められていくヴァレンティンの表情から目が離せなかった。
モリーナはそれでいいはずだった。
ヴァレンティンを追い詰めて、気が狂うほど追い詰めて仲間のことを白状させればいい。それが所長からの命令で、自分のすべき事だった。
だけどモリーナはヴァレンティンの体を拭くことを提案しそうすれば痒くなくなる、眠れる、と言ってしまう。弱らせなければいけないのに、それが出来ない。
「そしたら痒くなくなる?」と聞き返してきたヴァレンティンの声はモリーナにどう届いたんだろう。
シャツを脱いだヴァレンティンの体に残る痛々しい拷問の傷痕を目のあたりにしたモリーナは、ヴァレンティンの顔が見えない背中を拭きながら何を思っただろう。
ヴァレンティンが触れてほしいと願っている相手はマルタだと今聞いたばかりなのに、その背中にタオル越しに触れたモリーナの手は何を感じていたのだろう。
自分が拷問をしてヴァレンティンを傷つけたわけじゃない。だけど自分がしようとしていた事は拷問した奴らと何が違うのだろう。
言葉は使い方次第でヴァレンティンを傷つける鞭にもなることをモリーナは知ったのではないかと思った。
一方、ヴァレンティンも何かと世話をやくモリーナに口にしてはいけないと我慢していたマルタへの想いや自分の心の弱さを吐き出し、最初こそ躊躇ったもののその痛々しい体をモリーナにさらけ出すことで信頼しているのが分かるのだけどそんな2人の気持ちのすれ違いがどうしようもなく切ない。
場面が前後してるとは思うのですが(記憶曖昧)ちょっと食べ物の話を。
何かとヴァレンティンの世話を焼くモリーナが良かれと思って取り出したフルーツケーキを感情的になって木箱ごとひっくり返してダメにしてしまった時には「ごめん、許してくれるね?」なんて言うものだから自信家で自分勝手なヴァレンティンはどこへ行ってしまったんだろうと驚かされてしまった。
いや、感情に任せて木箱ごとひっくり返すとか許してもらえる前提で話してるところが自分勝手ではあるんだけど、モリーナを信頼する前だったら更なる暴言を浴びせた上に自分のベッドで毛布に包まって背中を向けてモリーナに片付けさせただろうな、と思った。
モリーナが監房を出て1人になってからケーキを拾って捨てるのだけど叱られた子供みたいにしゅんとしてて、それはヴァレンティンの中にモリーナを傷つけてしまったという後悔があったように見えた。
だから差し入れでモリーナの為にサンドイッチを作るヴァレンティンはそれを帳消しにするような笑顔をしていたのかな。(真正面で見たのでそう見えた)
誰かのために食事を用意する。
それは革命でも何でもないけれどたったそれだけの事がこんなにも誰かを幸せにすると知ったのだから。
そしてモリーナに「はい」って渡す時も表情が柔らかくて同棲中の彼氏がお寝坊な彼女のために朝ごはん作ってあげたよ、みたいな展開にキュンキュンさせられてしまいました。あんなの2列目で見せられたら私は死ぬまで大倉担でいようと思ったよ、大倉くん。
本当に君は罪深い男で困る。(ヴァレンティンの話はどこへ行ったのか)
そしてモリーナもヴァレンティンの優しさに応えるように自分の感情を愛情だと、母親に対するのと同じ愛情だと(実際には違う愛情だと分かっていながら)初めて口にする。
モリーナのストレートな言い方にいつも強気なヴァレンティンが照れくさいと視線を逸らすのは可愛らしかったし、微笑ましいその光景はいつまでも見ていたかったけれど。
モリーナにはもう時間がなかった。
今言わなければきっともう言えない。
それはこの差し入れが、所長からモリーナに突きつけられた最後通告だったから。
モリーナといる間、ヴァレンティンが1度も監房を出なかったのは拷問を受けなかったということ。その代わりに精神的な拷問を受け続けたモリーナ。
追い詰められていったのはヴァレンティンだけでは無かった。病気の母親、所長の命令、自分の釈放、ヴァレンティンへの愛情。複雑に絡まるモリーナの感情。
いつもの夜と同じように映画を語ったはずのモリーナは、とうとう厳しい現実に取り乱す。ヴァレンティンがマルタへの手紙に感情を吐き出したように何もかも吐き出せたらラクなのに、モリーナは心配するヴァレンティンにそれを言うことは出来ずにベッドに伏せてしまう。
モリーナが体調を崩した時、どうする事も出来なくて拳を握るだけだったヴァレンティンは今度は躊躇うことなくモリーナのベッドに座りモリーナを慰めるように言葉をかけ、その手で体をさすり始める。
手当て、という言葉がある。
病気の時。
誰かを想う時。
触れる人の手には不思議な力が宿る。
モリーナに触れたヴァレンティンの手にもモリーナを落ち着かせるだけのきっと不思議な力があるのだと思った。
だけど原作を読んだ時にここが1番分からない場面でもあった。
優しい言葉をかけて触れるだけじゃダメだったんだろうか。場所は監房、2人共に追い詰められた状況だったとしても男同士で体を重ねる必要はあったのだろうか、と。
欲を満たすだけなら朝から健康的なヴァレンティンは愛しいマルタを思い浮かべて自分で処理すれば済むだけの話ではないか、と。
誘うような言葉をかけるモリーナ。
その誘いに乗るヴァレンティン。
ここまで心理戦のような展開だったのに、ここへ来て極限状態の2人が禁欲生活に負けて勢いで(モリーナはヴァレンティンに対して愛情があるとしてもヴァレンティンの愛情はマルタにあるわけだし)性欲を満たすっていうのは腑に落ちなかった。
だけど、舞台を観て分かった。
「好きにしていいのよ」と言ったモリーナはこれがヴァレンティンにしてあげられる最後の、そして残された唯一のことだと考えたんじゃないか。そしてたとえマルタの代わりだとしてもヴァレンティンの記憶に、鼻先に、指先に、残りたかったのではないか、と。(ヴァレンティンがマルタに手紙を書いてくれ、と言った時と同じように)
ヴァレンティンはモリーナに分けてやれるような食糧を持っていなかったし、語って聞かせるような映画も知らなかった。
そのヴァレンティンもまた、いつもは何も求めないモリーナが自分を求めているのならばモリーナを満たす方法はこれしか無かったのかもしれない、と思った。
私の席からは2人の足しか見えなかったので、その表情がどんなものであったかは分からない。(2階席や3階席から見えたかどうかも分からないけど)
ただ、リアルに響く息づかいと粗末なベッドの軋む音は最中の2人には嘘がなかっただろうと思わせた。
これ、いつ終わる?
とりあえず、3に続く。